2015年11月22日

ダメ人間がなんらかの世界を救う話がある。花沢健吾の『ルサンチマン』とか。『ビューティフル・ドリーマー』もそうじゃない?ところで、今日は『みどりの星』を読んだ。惑星間の配送バイトをしているフリーターが蛙だらけの星に不時着陸。他にも人間のような見た目をした住人はいて、星の権力を握っている。その星には太陽が近づいているため水が乏しい。星の水を牛耳っているのは人間みたいなヤツらという設定。で、主人公はセックスのことしか考えてない権力者と女を奪い合う。すったもんだで権力者は真っ二つになって死ぬ。主人公は水も女もせしめて星で子宝に恵まれ末永く幸せに暮らしましたとさ。チャンチャン。

とりあえず、イデオロギーの話がしたい。ダメ人間というのは大抵、世界を救ってしまう。『イリヤの空、UFOの夏』だって、主人公は世間知らずのいもっぽい中学生だ。一方で、スマートで社会的立場のあるイケメンほどテロに走るというのはどういうことなんだ。『コードギアス』、『DEATH NOTE』、『残響のテロル』などなど…。

つまり、前者は資本主義と民主主義の結託を肯定している。作中で肯定されるのはマイノリティを含めた社会的落伍者。対して抑圧されるのは安っぽい独裁者像だろう。これは民主主義の軸。次に資本主義の軸では、ダメ人間が垂れ流すセックスや食べる欲望をこれまた肯定する。対して、後者の作品では権力以外の欲望を捨てている独裁者像を描いてみせる。

めんどくさくなったので今度続き書く。

2015年10月23日

去年くらいからお食事マンガが流行ってる気がする。もちろんずっと前から『美味しんぼ』とか『酒のほそ道』みたいなグルメマンガはジャンルとしてあったと思う。じゃあお食事マンガってなんだというと可愛い女の子がウンチクを披露しつつもどことなくエロチックな表情を浮かべながらお食事をするようなマンガを指してる。『花のズボラ飯』とか。

というのも『だがしかし』を少し読んでて『くーねるまるた』が流行り始めた頃から考えてたことが頭をよぎったのだ。「これ完全オーガズムでしょ」。女の子がごはんを食べながら恍惚としているわけである。ただ数少ない作品知識でモノを言うなら『忘却のサチコ』は特にエロくはない。傷心のOLというだけで。

ただ、女の子が飯を食うのはやはりエロいのかもしれない。援交するパパはJKに寿司を食わせるわけだ。だからなんだというわけでもなく、誰か真面目にグルメマンガを丁寧に分析してくれたらいいなと思っただけです。

2015年10月19日

短めに。『屍者の帝国』を観てきた。原作は既読。思っていたより伊藤計劃作品を映像化するのは難しいようで、ロンドン塔のシーンは音圧とエフェクトで押し切ろうとする有様。伊藤計劃の作品がそもそも言語に重きを置いている割には修辞で逃げ切ろうとする節はあるので、ダメなところをごった煮にして説明省いたら、ウジウジした科学者が世界を救っちゃうんだぜアニメになるのは必至なのであった。もう「他人に理解してもらうってなんだろう?」を哲学やSFガジェットで誤魔化しとけば意味深で高尚なアニメになる時代でもなかろうよ。原作はここまでひどくなかった気もするが、読んだのが3年も前なのでほとんど覚えていない。そして良くも悪くも上記の問題意識を問い続けようとしている『ハーモニー』はもっと酷いことになるのではないかと今から恐れてる。

2015年10月12日

ふとパソコンを開くとなにか書いてみようと思うことがある。なにも書くことなんかないわけだが、とりあえずSNSを開いてみるとフェイスブックでもツイッターでもないなと思う。だからブログなのかというとこれもいくらか長文が書けるからマシというだけで、特別思い入れがあるわけでもない。だからといって日記をつける甲斐性もない。誰にも読まれない文章を書くのもアホらしく思ってしまう。じゃあお前どうしたいのと問われると能動的に書く理由なんてなにもないわけ。書評でもしたいんだけどそれは面倒というかそれこそ誰にも見られたくない。

と、ここまで書いてみて暇つぶしに買った『小説の読み方、書き方、訳し方』で高橋源一郎中原昌也二葉亭四迷と並べて褒めてたのを思い出した。以下引用。

二葉亭四迷の作品でも「おれは書くことがない」と言ったあとに、なんの脈絡もなく犬の話を書いている。そして、それがすごく面白い。犬という対象に溺れたりしないで、溺れている自分を客観的に見るとか、本当のことは誰も言っていないという視点が書いているものすべてに入っているんですね。中原くんもそうだと思うんです。文学という狭い世界の話ではなくて、世界全体がそういうふうに見えてしまう、その目が僕は面白いと思うんです。 

 だそうだ。切り売りできる自分がある人はいいなと思うんだけど、大抵の人間はなにも書くことねえとくだを巻いてるわけじゃないのか。「犬がクソした」とか「今、僕はユーチューブで『とらドラ!』のOPを聞いています」とかどうでもよすぎる。そういうどうでもいい「書くこと」がない生活に執着して、面白おかしく書いてしまう頭のおかしい人に、好奇心旺盛な現代人はお金をペイしてニヤニヤしてるのだ。幸か不幸かこの駄文には誰も金を払ってくれないので「本当になにも書くことないです」と声を大にして言えるのだが。もうだんだん「書くことがない」から「書きたくない」に変わってきたのでやめる。できればつまらない人にもお金を恵んでください…。

2015年9月26日

仕事の関係上花に接することが多くなってる。ワタクシ恥ずかしながら生まれてから彼女を持ったことがない。また若いので冠婚葬祭も少なくとにかく花に接することがない。母の日といってもカーネーションを送ることもなく、自分の好きなものを買って好き放題してきた、と青くさく振り返る。そんな青二才が花である。

まず価値観がわからない。女性という旧来の観念をぶっ壊そうとする人にはツバを吐きかけられるかもしれないが、花といえば女が買うもんだ。せいぜい男が花に興味を持つなら気障な優男が贈り物に…というのをせせら笑う固茹で卵を自称してきたのだから。綺麗といっても腹の足しにもならんし、心のやすらぎ求めるならばペットでよかろうもんというくらい朴念仁。ノヴァーリスも女だと思ってた。

と、こんな私が今日花をもらってきた。白いやつだった。ユリというらしい。まあとにかく葉っぱが多い。葉っぱをほったらかしにしておくと栄養が吸い取られて花弁が開かないらしく、ごじらをみる前にパチパチと葉っぱを切っていく。これがわりと面白い。黙々と作業に集中できるし、もらいものだし観賞用だし金に頭を下げてる感じもないので脅迫感がない。茎を傷つけないように慎重にパチパチ。「女を脱がすのはこんな感覚なのかな、ゲヘヘ…」と童貞のスケベゴコロが乱れ咲く。そんなこんなで見てくれはマシになったのだが肝心の花瓶がない。それは明日買いに行くとして、水を与えねばしおれてしまう。とりあえず湯船に水を張って風呂いすの真ん中に突っ込んでおいたら、帰宅途中は元気の足りなかった葉っぱにハリが戻ってきた。これがまた嬉しい。尽くせば尽くすだけ応えてくれるわけだ。繰り返すが金もかかってない。じいさんばあさんが老後にプランター菜園を始める気持ちがよく分かる。二人で育む愛の花園ってわけだ。極めてプラトニック。旦那が働き詰めて、子どもは都会に…。あかぎれまみれの手を見つめた40年。ばあさんようやく花を育てるゆとりができた。生活のゆとりが心のゆとりに。にっくき旦那と額に汗かき家庭菜園。荒んだ家庭に再び愛も芽生えよう。

ほんの15分ほどの作業で老後のことまで考えてしまうくらい花は面白い。私もまずはおなごに花を送って求婚をすることにした。ライフイベントに一つ、花束をば。

2015年7月19日

ブログ等を徘徊していたら久々になにか書いてみたいと思ったのだが、特に書きたいこともないので「近況:なにもありません」と書いて寝ることにする。

最近タイトル買いした本が『ヴァイキングの経済学』の私の近況報告でした。