2015年10月12日

ふとパソコンを開くとなにか書いてみようと思うことがある。なにも書くことなんかないわけだが、とりあえずSNSを開いてみるとフェイスブックでもツイッターでもないなと思う。だからブログなのかというとこれもいくらか長文が書けるからマシというだけで、特別思い入れがあるわけでもない。だからといって日記をつける甲斐性もない。誰にも読まれない文章を書くのもアホらしく思ってしまう。じゃあお前どうしたいのと問われると能動的に書く理由なんてなにもないわけ。書評でもしたいんだけどそれは面倒というかそれこそ誰にも見られたくない。

と、ここまで書いてみて暇つぶしに買った『小説の読み方、書き方、訳し方』で高橋源一郎中原昌也二葉亭四迷と並べて褒めてたのを思い出した。以下引用。

二葉亭四迷の作品でも「おれは書くことがない」と言ったあとに、なんの脈絡もなく犬の話を書いている。そして、それがすごく面白い。犬という対象に溺れたりしないで、溺れている自分を客観的に見るとか、本当のことは誰も言っていないという視点が書いているものすべてに入っているんですね。中原くんもそうだと思うんです。文学という狭い世界の話ではなくて、世界全体がそういうふうに見えてしまう、その目が僕は面白いと思うんです。 

 だそうだ。切り売りできる自分がある人はいいなと思うんだけど、大抵の人間はなにも書くことねえとくだを巻いてるわけじゃないのか。「犬がクソした」とか「今、僕はユーチューブで『とらドラ!』のOPを聞いています」とかどうでもよすぎる。そういうどうでもいい「書くこと」がない生活に執着して、面白おかしく書いてしまう頭のおかしい人に、好奇心旺盛な現代人はお金をペイしてニヤニヤしてるのだ。幸か不幸かこの駄文には誰も金を払ってくれないので「本当になにも書くことないです」と声を大にして言えるのだが。もうだんだん「書くことがない」から「書きたくない」に変わってきたのでやめる。できればつまらない人にもお金を恵んでください…。